徳本上人
江戸時代の浄土念仏聖
徳本上人は、江戸時代後期の浄土宗の僧侶であり、全国を巡錫した念仏行者である。「流行神」と呼ばれるほどの熱狂的な支持を集め、その足跡は今も全国に残っている。
徳本上人の生涯を探る
名号塔を見学する
徳本上人の生い立ち
1
誕生
宝暦8年(1758年)、和歌山県日高町志賀に生まれる。幼少期から強い出家の意思を持つ。
2
出家
天明4年(1784年)、27歳で往生寺にて得度し、徳本と称する。厳しい修行生活を送る。
3
全国行脚
寛政6年(1794年)から全国行脚を開始。独特な念仏で民衆から大きな支持を得る。
徳本念仏の特徴
木魚と鉦
木魚と鉦を激しくたたく独特な念仏スタイル。
独特な書
「南無阿弥陀仏 徳本」と独特な字で書き、信者に分け与える。
民衆の支持
道歌や俗歌を交えた教えで、幅広い層から支持を得る。
全国に残る徳本上人の足跡
徳本上人の足跡を示す名号塔は全国に1500基以上確認されている。特に長野県には429基と最も多く、和歌山県の121基を大きく上回っている。
徳本上人ゆかりの地(和歌山)
1.誕生院(和歌山県日高町)は徳本上人の誕生地にある寺院で、上人ゆかりの遺品を多数所蔵している
2.徳本上人が27歳で出家得度した往生寺(御坊市湯川町財部)
3.郡内に限らず県内全域で121基の名号碑が残されている
徳本上人ゆかりの地(県外)
徳本上人の足跡は、信濃や関東地方にも広がっている。
回向院 (東京都)
無縁仏を弔う寺として知られる。徳本上人が念仏を広めた場所でもある。
光明寺 (神奈川県)
鎌倉にある浄土宗の寺院。徳本上人が訪れ、念仏を唱えたとされる。
徳本上人ゆかりの地
徳本上人の足跡は、関東地方にとどまらず、さらに遠方にも及ぶ。
善光寺(長野県)
長野市にある古刹。多くの参拝客が訪れる。徳本上人も訪れ、念仏を広めた。
一行院(東京都)
浄土宗の総本山。徳本上人はここで修行し、念仏の教えを深めたとされる。
徳本上人の修行と教え
厳しい修行
1日1合の豆粉や麦粉のみを摂取し、水行や崖登りなど過酷な修行を行う。
念仏の奥義
独学で念仏の奥義を悟り、独自の教えを説く。
庶民への教化
江戸小石川伝通院の一行院では、庶民に十念を授けるなど教化に努める。
徳本上人と小林一茶
俳人・小林一茶は徳本上人を敬慕し、幾度も日記に記し、句に詠んでいる。文化元年(1804年)に徳本の教化を受け、以後も徳本の動向を気にかけ続けた。
徳本上人は説法に和歌を取り入れたことでも知られ、一茶が上人を詠んだ句が14首もあります。
聖人に 見放されたる 桜哉
一茶が徳本上人を詠んだ句の一つ。桜も徳本上人を慕い、名残を悲しんでいるという意味が込められている。
徳本上人の功績
名号
全国に1500基以上建立された名号塔は、徳本上人が念仏を広めた足跡を具体的に示す石碑です。これらの塔は、上人の教えが広範囲に浸透した証であり、地域の人々にとって心の拠り所となっています。また、多くの信仰者に名号を通して念仏を弘められました。
徳本念仏
木魚と鉦を激しく打ち鳴らし、独特のリズムで唱える徳本念仏は、聴衆を熱狂させました。その念仏スタイルは、従来の静かな念仏とは異なり、人々の心を揺さぶり、信仰を深める力強い表現となりました。
民衆の信仰
徳本上人への信仰は、今日でも庶民の間で息づいています。上人の教えは、人々の生活に根付き、困難な時代を生き抜く心の支えとなっています。その信仰は、祭りや行事などを通じて、世代を超えて受け継がれています。
徳本上人の教えと足跡は、名号塔や独特な念仏文字、そして民衆の信仰として今も生き続けている。その影響力は、江戸時代から現代にまで及んでいる。
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